三中 信宏 (農研機構農業環境変動研究センター)
森元 良太(北海道医療大学)
大塚 淳(京都大学大学院文学研究科)
本講演では,科学と科学哲学の歴史的関係について,生物体系学の半世紀をふりかえることで再検討する. かつては科学哲学といえば,典型科学としての物理学をもっぱら対象としていればよかった. しかし,そのグローバルな科学哲学がしだいに個別のローカルな科学を対象とするようになるとともに, 科学と科学哲学の関係も変容せざるをえない.科学哲学が“観察” する対象がいずれの個別科学かによって, ケースバイケースの微調整が科学哲学側に求められるからである. 1960年代の生物体系学はのちの「生物学哲学」の母体となった. 体系学はもともと研究対象(個体・個体群・種など)そのものをめぐるさまざまな“哲学的” あるいは “形而上学”な疑問が日常的に浮上するという特徴がある. さらに,生物界の進化史あるいは進化過程を復元する課題は歴史仮説をいかにして経験的に推論するのかという科学哲学の問題と直結する. したがって,体系学や進化学が取り組もうとする生物学的問題はそのまま新興の生物学哲学にとっての科学哲学的問題とみなされた. 同じ科学であっても,解くべき問題の立て方によっては普遍法則の発見が目標となるが, 別の問題設定では個別事例の記載や復元が目的となることもある. このような科学の中での連続的スペクトラムのもとではそのつど分化し微調整された科学哲学が必要になる. 生物体系学の現代史はその証拠を提供しているのではないか.
「科学は科学哲学を利用し、科学哲学も科学を利用した。」
これは三中氏の近刊『系統体系学の世界:生物学の哲学がたどってきた道』の節のタイトルである。
そこでは、体系学と科学哲学の共進化について具体例を織り交ぜながら論じられている。
本発表では、進化生物学の思考の枠組みに注目し、科学と科学哲学の共進化の実例を示したい。
チャールズ・ダーウィンは生物進化の説明に「集団的思考」という思考の枠組みを導入した。
集団的思考とは、集団現象を捉えるときに集団を構成する個々の対象ではなく、
集団自体を基礎的なものとする思考の枠組みのことである。
この思考法の導入は、正常・異常の区別に変更を迫り、哲学にも影響を及ぼしている。
そこでまず、正常と異常の区別について、古代ギリシアのアリストテレスの考え方とダーウィン以降の考え方を比較し、
集団的思考が哲学へ及ぼした影響を解説する。また、集団的思考はフランシス・ゴールトンにより精緻化され、
確率分布の理解が大きく変わり、現代統計学の誕生へつながった。そこで次に、
集団的思考という枠組みが現代統計学の基礎をなすことを確認し、哲学の観点から統計学を分析する。
今後も科学が科学哲学を利用し、科学哲学も科学を利用し続ける可能性を模索する。
どのような科学理論も、それが探求する世界が「どのような存在物から成り立っているか」についての基本的な考え方、
すなわち存在論を持っている。例えば古典力学の存在論はユークリッド空間内の質点系であり、
新古典派経済学であれば合理的主体の集合だろう。では、進化を研究するためには、
どのような存在論が前提とされる(べきな)のだろうか。
この観点から考えると、アリストテレス的な本質主義からダーウィン以降のいわゆる「集団的思考」への移行は、
進化論を可能にするための一つの重要な存在論的転換であった。
しかしその一方で、メンデル遺伝学の延長線上に発展した集団遺伝学は、普遍的タイプとしての遺伝子を要請する。
よって現代的総合において、個体を唯一無二の存在と捉える集団的思考は、
それを遺伝子の組み合わせとして見る遺伝子中心主義にとって代わられねばならなかった。
では、それが最終的な答えなのだろうか?現在、進化発生生物学を中心に、
遺伝子を超えたより高次の「進化的単位」を求める声が上がってきている。
こうした存在論の拡張は、何を意味し、またそれはどのようにして可能なのだろうか。
本発表では、これまで物理学や化学で用いられてきた「対称性」の考え方を糸口に、こうした問題について考えてみたい。